前橋地検について

最終更新日:2020年7月16日

沿革

 明治4年7月司法省が設置されて,裁判権が行政庁から司法省所管の裁判所に移り,同5年8月5日太政官達をもって府県裁判所が設置されるとともに検事の職制が定められ,逐次全国府県裁判所・区裁判所が設置されるとともに本県においても同月12日群馬裁判所が設置され,旧前橋城内の県庁に隣接する旧藩庁において事務を開始しました。
 その後,翌6年熊谷県が置かれ,同年9月12日,群馬裁判所は,熊谷裁判所に属し,群馬区裁判所と改称されました。
 同年12月10日群馬区裁判所が前橋から高崎に移され,高崎区裁判所と称し,上野国一円11郡をその管轄としました。
 明治9年11月8日熊谷地方裁判所の支部として同裁判所前橋支部が設置され,明治14年10月1日前橋市北曲輪町(現在の裁判所庁舎の敷地の一部)に竣工された庁舎に移転しました。
    明治23年11月1日施行の裁判所構成法により,前橋地方裁判所及び区裁判所と改称され,戦後,昭和22年5月3日司法制度が改革されるまで続きましたが,同日,検察庁法の施行されたことにより,裁判所に附置されていた検事局が,裁判所とは独立の機関として前橋地方検察庁となりました。
    前橋地方検察庁は,現在の群馬県警察本部北側に昭和29年11月に竣工され(旧庁舎写真手前部分),昭和50年4月に増築されました(旧庁舎写真奥部分)が,庁舎の老朽化により,平成13年6月に現在の庁舎(前橋地方裁判所東側)に移転し,今日に至っています。
           

前橋地方検察庁の庁舎

前橋地方検察庁の玄関ホールには,群馬県出身のきり絵画家,関口コウ氏の作品「母なるもの」を陶板レリーフにして掲載することにより,前橋市の文化の向上に寄与するよう配慮しています。前橋地方検察庁の玄関ホールには,群馬県出身のきり絵画家,関口コウ氏の作品「母なるもの」を陶板レリーフにして掲載することにより,前橋市の文化の向上に寄与するよう配慮しています。

前橋地方検察庁付近の写真前橋地方検察庁付近の写真

検察庁の仕事

検察庁では次の仕事をしています

  1. 犯罪について捜査します。
  2. 刑事事件について裁判所に起訴するかどうか決めます。
  3. 起訴した事件について裁判で立証し,適正な裁判を求めます。
  4. 裁判の執行を指揮監督します。
  5. 公益の代表者として法令に定められた事務を行います。
  6. 犯罪被害者の保護・支援を行います。
 また,平成21年5月21日から始まった裁判員制度について,みなさんの理解を深めてもらえるように,さまざまな広報活動を行っています。

 刑事事件の大まかな流れは,下記の図を参考にしてください

仕事の流れ

著名事件

ジェラード事件

 昭和32年1月30日,群馬県群馬郡相馬村(現北群馬郡榛東村)所在の旧日本陸軍相馬が原演習場(現陸上自衛隊相馬が原12旅団敷地)において,他の将兵30名とともに演習に参加していたアメリカ陸軍三等特技兵であったウイリアム・エス・ジェラードは,演習場内に入って銃弾の空薬きょうを拾い集めていた周辺住民の一人に対して,持っていたM1小銃で威嚇したところ,これに驚いた被害者が逃げようとしたため背後10メートルの距離から被害者に対して発射したため,これが被害者の胸部に命中し,死亡した事件です。

 

大久保事件

 昭和46年3月から同年5月にかけ,若い女性8人を言葉巧みに自家用車に誘い込み暴行した上,次々と殺害して,山中などに埋めるという残忍な犯行を繰り返したもので,我が国犯罪史上まれに見る凶悪事件として,年ごろの娘をもつ親の心胆を寒からしめるなど,当時の社会への影響が極めて大きい事件でした。

 

連合赤軍リンチ事件

 昭和47年に誕生した連合赤軍は合計29名で構成され,その幹部らは「銃による殲滅戦」を実行するために,兵士各人に自己批判,集団による相互批判を厳しく要求し,兵士の日常行動の一挙手一投足や些細な欠点・失敗を日和見的,分派的,敗北主義的,ブルジョア的であり,反革命的であるとして,これを粛正の名の下に「総括」と称して兵士10名を死亡させ,また,逃亡しようしとした兵士2名を「死刑」と称して殺害しました。赤軍兵士は,榛名山,迦葉山,妙義山など群馬県内の人里離れた山岳地帯を転々として銃撃訓練をしていましたが,車で移動中に兵士が警察官に職務質問されて緊急逮捕されたことが発端になり,次々と犯行が発覚しました。当時の革命運動華やかな混乱期の中とはいえ,「銃による殲滅戦」などという革命に命をかけた若者たちの軌道を逸した行動に,国民は極度の恐怖感を覚えた事件でした。

 

日航機墜落事件

 昭和60年8月12日午後6時12分東京国際空港を離陸したボーイング747型日航ジャンボ旅客機(東京発大阪行き日航123便,乗員乗客524名搭乗)が伊豆半島南部の東岸上空を飛行中の同日午後6時24分ころ,突然同機の後部圧力隔壁が一気に全面破断したことによって,同機の操縦が極度に困難な状況となり,同機は30分後の同日午後6時57分ころ,群馬県の多野郡上野村本谷国有林内の通称「御巣鷹山」山中に墜落し,一瞬のうちに乗客・乗員520名の尊い命が奪われた大事故でした。墜落現場は,長野県との県境にある御巣鷹山のほぼ中腹の標高1500メートル付近であり,当時は人跡未踏の急斜面の山林であり,道を切り開きながら進まざるを得なかったこともあって,現場に到着するまでに極めて長時間を要し,救助・捜索に従事した警察官は異口同音に「地獄絵を見る思いであった」と言われていました。このような凄惨な状況の中で4名の尊い命が救助されたことは,せめてもの慰めでありました。
 

管轄

前橋地方検察庁の管轄

→詳細な所在地・管轄区域

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前橋地方検察庁 管内検察庁の所在地・交通アクセス
〒371-8550 前橋市大手町3-2-1
電話:027-235-7800(代表)