第2代司法卿 大木喬任

最終更新日:2016年2月23日

明治新政府にとって,法治国家として不可欠な近代的司法制度の確立と基本法令の制定は重要な仕事であった。その基礎固めを行ったのが江藤新平であり,大木喬任である。 江藤新平は,わずか在任1年で司法卿を辞任したが,その後任が同郷の大木喬任であり,喬任は,親友の新平が手掛けた民法,刑法等の編纂事業を受け継ぐこととなった。 民法,刑法等の編纂事業・我が国の民法典編纂事業は,江藤新平が,箕作麟祥に命じてフランス民法典を翻訳させ,これを逐条審議したことに始まるといわれる。その後,司法卿に任ぜられた新平は司法省に明法案を設けて作業を続け,「民法仮法制」の完成まで漕ぎ着いたが,実施には至らなかった。 明治6年に司法卿となった喬任は,その後長きにわたって司法卿の地位にあったが,この間,フランスから招へいしたボアソナードを中心にして民法編纂事業に当たらせ,明治13年には自らも民法編纂総裁に命ぜられ,その尽力により,いわゆる「ボアソナード日本民法草案」が起草されたのである。    

【佐賀県立佐賀城本丸歴史館蔵】【佐賀県立佐賀城本丸歴史館蔵】

他方,明治維新直後の刑法は,律の体系で制定され,なお旧幕時代の制度が維持されていたため,司法卿になった新平は,刑法も近代化しなければならないと考え,フランス刑法典の 翻訳を試みたようである。その後,大木司法卿の代に,刑法についてもボアソナードの下で編纂事業が進められ,明治10年には,ボアソナードの刑法草案が作成され,これを基にした旧刑法が明治13年に制定された。そのころ,時期を同じくしてボアソナードの起草した治罪法も制定され,刑法と共に明治15年から施行されここに日本の近代的刑事立法が一応の完成を見たのである。    

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