大阪地検の沿革について

最終更新日:2016年1月25日

明治13年 大阪上等(控訴)裁判所内に入居

当時の庁舎外観

 当庁の沿革は、明治5年8月3日に公布された司法職務定制に基づき、府県裁判所として設置されていた大阪裁判所が、明治9年の太政官布告による府県裁判所の廃止に伴い、これに代わるものとして地方裁判所が設置され、明治13年12月、同裁判所内に検事局が置かれたことに始まる。
 名称は、依然「大阪裁判所」であったが、地方裁判所として、大阪府、堺県、和歌山県を管轄区域とし、管内に堺・和歌山の2支庁及び奈良・田辺・堺・和歌山の4区裁判所が設置されていた。
 明治15年1月、上等裁判所が控訴裁判所に、地方裁判所が始審裁判所に、区裁判所が治安裁判所にそれぞれ改称されるとともに、従来の支庁は廃止された。

明治23年 大阪控訴院、大阪始審裁判所内に入居

当時の庁舎外観

 裁判所構成法が施行される直前の明治23年4月、大阪市北区絹笠町・真砂町・若松町合併地(鍋島・津軽両藩蔵屋敷跡)に、れんが造り3階建ての大阪控訴院・大阪始審裁判所合同庁舎が完工した。
 同年11月、裁判所構成法の施行に伴い、始審裁判所が地方裁判所に、治安裁判所が区裁判所に改組され、大阪府のみを管轄区域とし、管内に大阪・池田・茨木・枚方・天王寺・堺・岸和田・富田林の8区裁判所が設置された。

明治33年 大阪控訴院、大阪地方裁判所内に入居

当時の庁舎外観

 しかし、初代赤れんがの合同庁舎は、明治29年、大阪控訴院から出火して焼失し、明治33年4月、焼失した庁舎跡に新庁舎が落成したものの、この2代目庁舎も、明治42年7月のいわゆる北の大火災(天満焼け)により、類焼して焼失した。

大正5年 大阪控訴院、大阪地方・区裁判所内に入居

当時の庁舎外観

 大正5年5月、焼失した庁舎跡に、れんが造り銅板葺きで、中央に高さ36メートルの青銅ドームをいただく高塔建物である3代目の庁舎が竣工し、「赤れんが」の愛称とともに、大阪の代表的点景として市民に親しまれた。
 そして、昭和22年5月、現在の裁判所法及び検察庁法が施行され、それまで裁判所に付置されていた検事局が裁判所から独立して、大阪高等検察庁、大阪地方検察庁が発足し、管内に堺・岸和田の2支部のほか、15区検察庁が設置された。

昭和43年 大阪法務合同庁舎内に入居

当時の庁舎外観

 当庁は、裁判所から独立した組織となってからも、依然、「赤れんが」の裁判所と同居していたが、昭和43年3月、前庁舎である大阪法務合同庁舎のうち別館が、昭和44年3月、同本館が竣工したことにより、裁判所庁舎から移転した。
 4代目庁舎は、本館が地下2階・地上8階建て、別館が地下1階・地上7階建てとなっており、いずれも鉄筋コンクリート造りである。
 その後、庁舎の狭あい化に伴い、昭和62年に3階建ての第2別館を築造し、平成6年に大阪保護観察所が移転した3階建ての北別館を改修の上使用を開始し、平成8年、2階建ての西別館仮庁舎を築造して、5棟の建物を使用するようになったが、OA化の推進による機器の設置などによって狭あい化が著しい上、平成7年の阪神・淡路大震災の影響も受け、本館、別館及び北別館の老朽化が更に進んだことから、平成10年3月、現庁舎建設工事に着工した。

平成13年 大阪中之島合同庁舎内に入居

 現在、当庁が入居する庁舎は、平成13年11月に地下3階・地上24階建ての「大阪中之島合同庁舎」として竣工した。
 なお、現庁舎は、4代目庁舎から西へ約1.5キロメートル離れた大阪市福島区福島1丁目1番60号の旧大阪大学付属病院跡地である。

現在の庁舎外観

大阪地方検察庁 管内検察庁の所在地・交通アクセス
〒553-8512 大阪市福島区福島1丁目1番60号 大阪中之島合同庁舎
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