はじめに
平成21年に裁判員裁判制度が始まり3年になろうとしています。
また,平成20年に改正された検察審査会法により,検察官が不起訴にした事件について,一定の場合に起訴を強制する制度も設けられて,起訴強制された事件も複数存在しています。
裁判員裁判の実施や検察審査会法の改正により,国民の刑事裁判に対する関心が高まったように感じられますが,それとともに無罪事件が増加したり,これらの制度とは直接の関係はないものの検察庁の証拠改ざん問題等の不祥事,警察のストーカー被害に対する捜査姿勢や証拠品等のずさんな取扱いが明らかになったことなどに起因する捜査機関に対する不信感や批判の増加等もあり,これまで国民から多くの信頼をいただいていた捜査・公判の全体を通じた刑事司法システムの在り方に疑問を提示されているように思われます。
それぞれの国の刑事司法システムは,各国の歴史,宗教を含む社会制度,治安状況,国民感情等によって様々な違いがあり,単純な比較はできないのですが,平成23年版の犯罪白書に現れた日本の刑事司法に関するいくつかの数字を示し,この数字を通して,日本の治安の現状を理解し,検察が担っている捜査・裁判の現状,犯罪者の再犯予防と矯正の在り方等に興味を持っていただいて,将来の我が国の刑事司法システムをどうすべきかについて考えていただくきっかけとしていただきたいと思います。
1 検察庁の事件受理の状況
平成22年における検察庁の事件受理人員(一人で複数の事件に関係することもあり,事件数よりは少なくなります。)は,156万8,299人でした。このうち刑法に規定された罪(刑法犯)の被疑者が101万118人,刑法以外の罪の被疑者(特別法犯)が55万8,181人でした。
我が国の事件受理人員は,平成13年の220万6,980人がピークですが,刑法犯については,平成10年以降増加を続けて平成16年の127万596人,特別法犯は,平成11年の114万7,395人がピークであり,それ以降,毎年減少しています。なお,平成23年もこの減少傾向は続いています。
これらの数字を見ると,我が国では罪を犯した疑いがあるとして検察庁が受理する人員は,ここ10年ほどで全体で約64万人減少しており,刑法犯だけでも19万人ほど減少したことがわかります。
この10年ほどの間,ピッキング等による住居侵入・窃盗の増加,外国人犯罪の増加,路上強盗の増加などが大きく取り上げられてきました。みなさんは,「体感治安の悪化」という言葉を耳にしたことがあると思いますし,治安の悪化が大きな社会問題となってマスコミをにぎわせたことも知っていると思います。
しかし,最近は現実に事件受理人員が減少しておりますし,「体感治安」という言葉も余り耳にしなくなったと思われ,治安状況が落ち着いて来たことは明らかです。そうはいっても,国民の犯罪に対する不安感にはいまだに大きなものがあるようです。
みなさんは,犯罪が減ってきているという数字の変化をどのように感じられますか?
ちなみに日本とフランス,ドイツ,イギリス及びアメリカという主要5か国について,主要な犯罪の発生率(人口10万人当たりの犯罪認知件数)を比較すると,我が国の発生率は従来から最も低くなっております。
2 検察庁の事件処理の状況
検察庁における事件処理は,成人の場合,起訴と不起訴に大別されます。なお,少年については,必ず,家庭裁判所の審判を受けさせる必要があるため,検察庁から家庭裁判所に事件を送致します。家庭裁判所の審判結果によって,検察官が改めて起訴することがありますが,その数はそれほど多くはありません。また,少年の一般刑法犯検挙人員は,少子高齢化の影響もあるためか,昭和58年(約31万7438人)を大きなピークとして,多少の増減はあるものの減少傾向にあり,平成16年からは減少が続いています(平成22年は,12万7188人であり,昭和58年の約4割に過ぎません。)。
このうち起訴は,処罰を求めて裁判所に公訴を提起することであり(検察庁に事件送致され起訴する前の人を「被疑者」,起訴した後を「被告人」と呼びます。),公開の法廷で原則として弁護士がついて審理する「公判請求」と,罰金刑になることを前提として,書面だけで裁判官に審理してもらう「略式請求」の二種類があります。
裁判員裁判は,公開の裁判ですから「公判請求」の一種ですし,スピード違反等の道路交通法違反で採用されている「交通切符」のうち,反則金で処理されないいわゆる「赤切符」により,罰金刑の言い渡しを受ける裁判は略式請求です。
また,不起訴の種類としては,証拠により犯罪事実の成立自体は認められるものの, 犯人の性格,年齢及び境遇,犯罪の軽重並びに犯罪後の情況等を考慮して公訴を提起しない「起訴猶予」が最も多く,これ以外の不起訴理由としては,犯罪の成立を認めるには証拠が十分ではない「嫌疑不十分」や公訴時効が完成した「時効完成」,公訴提起に必要な要件を欠いている「親告罪の告訴欠如」などがあります。
これらの検察庁における事件処理を数字で確認すると,平成22年の場合
終局処理人員 157万7,369人(統計の都合で受理人員と一致しません)
公判請求人員 10万9,572人
略式請求人員 40万8,681人
不起訴人員 91万3,356人(起訴猶予83万9,984人)
家庭裁判所送致 14万5,760人(道路交通法違反や特別法犯も含みます)
となっています。
これらの割合を処理区分別にみると
公判請求 6.9パーセント
略式請求 25.9パーセント
不起訴 58.0パーセント(起訴猶予53.3%,その他4.7%)
家庭裁判所送致 9.2パーセント
となります。
検察庁で捜査・処理している事件のうち起訴されるのは,全体の3割強(約33%)であり,不起訴が半分以上の6割近くを占めています。また,不起訴の9割以上が起訴猶予ですから,証拠はありながら,裁判にかけられることなく,検察庁で事件処理されているわけです(このように,検察官が,起訴・不起訴の裁量権を持つことを「起訴便宜主義」(刑事訴訟法248条)といい,日本の検察の特徴とされています。)。
みなさんは,このような検察官が起訴・不起訴についての大きな裁量権をもつ日本の刑事事件処理の在り方をどう考えますか?
また,起訴する事件の約8割が罰金刑となる略式請求であり,公判請求されて刑事施設に入所する可能性があるのは,事件全体の約7パーセントです。
この起訴する場合の罰金刑と公判請求の割合をどう考えますか?
これらの検察の処理の実情を見て,罪を犯した者に対して「甘すぎる」と考える方も多いと思われ,そんな甘いことで日本の治安を維持できるのかと心配される方も多いと思います。でも,物事は,そんなに単純ではありません。
検察庁で受理する事件の約45パーセントは自動車運転過失致死傷事件(交通事故),約29パーセントは道路交通法違反事件であり,いずれも自動車の運転に関わる事件なのですが,ほとんどの国民が運転免許を所有し,車の運転をする現在にあって,スピードの出し過ぎや不注意(過失)で事故を起こすことは,簡単に人ごととは思えないのではありませんか(道路交通法違反事件の一部に,反則金制度が導入され,軽微な事件について,刑事手続とは別の処理をすることになった大きな理由もここにあります。)。
みなさん自身が,わざと(故意に)犯罪を犯す気持ちはなくても,不注意で事故を起こす可能性があることを考えても,検察庁の処分が甘過ぎるといえますか?
3 刑事裁判の状況
平成22年に裁判所が判決を言い渡した事件のうち,裁判が確定(言い渡された判決につき,上級審に不服を申し立てずに一定期間を経過したり,最高裁判所の判決があった場合をいいます。)した事件を見ると
有罪人員 47万2,730人
死刑 9人
懲役・禁錮 6万8,265人
うち執行猶予 4万 445人
罰金 40万1,382人
拘留・科料 3,073人
無罪人員 86人
となっており,刑事施設入所受刑者(実刑)は,2万7,079人となっています。
この数字から,起訴された被告人のうち,最終的に実刑となって刑務所等の刑事施設に入る割合は6パーセント足らずであり,懲役刑や禁錮刑の言渡しを受けてもその約6割に執行猶予が付けられ,社会内で更正する機会が与えられること,起訴された被告人の約85パーセントは罰金刑になっていることが読み取れます。
また,最近,裁判員裁判を中心に無罪事件が増えているといわれており,マスコミ等に取り上げられることも多い無罪事件の割合は,平成22年の場合,約0.018パーセントになります。
日本の検察官は,起訴便宜主義の考えの下,公訴を提起した場合の被告人に対する社会的不利益の大きさ(特に社会的に地位のある人や有名人が起訴された場合,大騒ぎになります。)などにも配慮し,有罪判決が得られる高度な見込みがある場合にだけ公訴を提起するという姿勢で起訴・不起訴を判断しています。そのため,起訴猶予以外の「嫌疑不十分」等の理由で不起訴になった事件の中には,起訴していれば有罪になったかもしれない事件がある一方,無罪となる可能性のある事件も含まれていると考えられます。
さて,これらの刑事裁判の内容を,みなさんはどのように考えますか?
無罪事件は,多いですか,少ないですか?
なお,最近の検察審査会の「起訴相当議決」(検察官が不起訴の判断をした事件について,検察審査会が「起訴相当」と議決すること。)の理由には,「有罪・無罪を裁判(司法)の場で決めるべきである。」という内容の判断が示されたものがあります。みなさんは,この検察審査会の判断をどう考えますか?
4 矯正の状況
刑事施設の収容率(裁判が確定した既決囚と公判中の未決囚を含む。)は,最近の犯罪の減少と相まって平成17年をピークに低下してきており,全体として定員を超過する過剰収容の状態は緩和されましたが,いまだに女子の収容率は高く,特に,女子既決囚の収容率は120パーセントを超える大変な過剰状態が続いています。また,緩和されたとはいっても,依然として,刑務官一人当たりが担当する収容者の数は多く,全体的な過剰傾向は続いています。
矯正には再犯者の増加と受刑者の高齢化という相互に関連する大きな問題があり,従来とは異なったタイプの刑務所の新設,再犯防止のための様々な取組,職業訓練の在り方,出所者の社会復帰に向けた取組などの新しい動きもあり,社会の理解を得ながら,受刑者の教育と再犯を防止するための活動を行っています。
犯罪を行った以上刑務所で受刑するのは当然という考え方もあるでしょう。
他方,刑事施設に収容される受刑者等の生活を維持し,受刑者等の監督や指導を行うためには刑務官等の職員も必要であり,そこには国民の税金が使われることになります。
現実には,懲役刑となった受刑者の刑務作業で刑事施設の費用をまかなうことは不可能であり,受刑者等が増えれば,それだけ国の負担が大きくなっています。また,日本の経済状況を反映し,刑務作業に出される仕事も十分ではないのが現状です。このような観点からは,刑事施設に収容するだけではなく,犯罪の原因を取り除く社会政策が国民にとって重要ではないかという別の考えも出てきそうです。
みなさんの日常社会から遠い存在と思われる刑事施設が,税金の面や老人・社会福祉あるいは経済活動などの様々な場面で,我々の生活と密接に関連していることがおわかりいただけますか。
5 更生保護の状況
「更生保護」という言葉を聞いたことのない方も多いと思いますが,更生保護は,犯罪を犯した人が再び犯罪を犯すことを防ぎ,非行を犯した少年の非行をなくして,善良な社会の一員として改善・更生することを助け,犯罪予防活動の促進等を行うことを目的としており,主に各地方の保護観察所の保護観察官及び保護司の方々がその活動を担っています。
その代表的な活動の一つである「保護観察制度」については,裁判員裁判が始まってから,執行猶予の付された裁判に「保護観察」が付けられたことが話題になったこともありましたので,聞いたことのある方も多いと思います。
保護観察は,4種類に分類されますが,年齢により,少年と成人で区別され,また,直ちに少年院や刑務所等に入所させるのではなく,社会内における更生を期待して言い渡される保護観察と社会から隔離されて矯正教育を受けた後の少年院の仮退院者や刑事施設から仮釈放される者に対する保護観察に区分されます。
これらの保護観察に付された者に対しては,保護観察官や保護司が日常的な生活指導などを行う一方,最近では,特定の常習化することの多い犯罪(覚せい剤等の薬物犯罪,性犯罪,暴力犯罪,飲酒運転)について,その犯罪を予防するための心理学に基づいた専門的処遇プログラムを実施するなどして,犯罪の予防に努めています。
犯罪の予防には,住居と仕事を有していることが重要であるとの考えから,刑事施設に入所中の段階から矯正や厚生労働省とも連携・協力して,出所後の就職に向けた様々な支援のための取組を行うなどしており,その活動領域が拡大する傾向にあります。
更生保護において,民間人のボランティアである保護司の方々が大きな役割を果たしていますが,最近は,保護司のなり手が少なく,高齢化が進展していることが問題となっています。また,適当な引受人がおらず,民間の更生保護施設でも受け入れが困難な仮釈放者や仮退院者等を一時的に収容し,保護観察官の下で充実した生活指導や就労支援を行うための施設として建設が計画された「自力更生促進センター」を巡って,計画段階で地域住民のご理解を得ることに苦労をしたことも難しい問題となりました。
更生保護の領域では,少年非行や常習的犯罪の被害拡大等を考えれば,みなさんの日常生活と非常に近いところにある重要な問題だと理解いただけると思います。また,保護司にならないまでも,自らが仮釈放者等の雇用先となったり,再犯予防の取組に協力いただくなど,できることもたくさんあるように思われます。
私たちにとって,犯罪の予防と再犯防止は,とても身近で重要な問題ですが,みなさんは,これらの問題を他人事だと考えていたのではありませんか。
終わりに
日本の刑事司法システムに関わる問題を,刑事司法に関係する数字を参考にしながら,検察による犯罪捜査,刑事裁判,刑の執行と矯正,更生保護という分野でいくつか指摘してみましたが,いずれの問題についても,確たる答えがあるわけではありません。また,ここでは警察の問題には触れていませんが,刑事司法システムにおける警察の役割には,極めて重要で大きなものがあり,警察についても検討すべき課題が山積みです。
これまでの日本は,諸外国に比べて治安が良好とされていましたが,将来にわたって安心と安全が保証されているわけではありませんので,日本の将来の刑事司法システムをどのような形にした方が安心した生活が営めるかは,国民一人一人が身近な問題として考え,選択すべき問題だと思っています。現実に,冒頭にも書いたように,ここ数年で国民の刑事司法に対する参加が大きくなっており,国民の考えを無視できる状況ではありません。
この文章を読まれたみなさんは,少しは検察庁の活動に興味をお持ちの方だと思いますので,是非とも,ご自分で将来の日本の刑事司法の在り方はいかにあるべきかを考え,近くの友人や知人等と議論していただきたいと切望しています。 |