職員からの一言

最終更新日:2019年11月8日

高松地方検察庁の職員が,交代で毎月「ひとこと」をお届けします。

検察庁を目指したきっかけ 令和元年11月

 検察庁に入庁して半年と少しが経ちました。4月当初は一心不乱に与えられた仕事をこなすだけでしたが,最近は,だいぶ環境にも慣れ,自分が任された仕事が数ある業務中のどこに位置づけられ,どのような意味合いを持つのかを考えながら仕事をする余裕も出てきたように思います。私は現在,検務部門の徴収係に所属していますが,9月までは事件係に所属していました。事件係では事件の受理や処理,令状関係に関する業務をこなし,徴収係では略式命令関係,主に罰金や科料の徴収を行っています。
 今回は,私が検察庁を志望したきっかけについてお話ししたいと思います。
 私が具体的に検察庁を目指したのは大学3年の公務員試験の勉強を始めた頃です。その頃までは,法学部だから法律関係の仕事に就きたいなと何となく考えていただけでした。そもそも法学部に進学したのも数ある学部の中で法律がおもしろそうだなと思ったぐらいです。ただその中でも大学1年の時に検察庁を題材とした有名なドラマが映画で公開され,検事と立会事務官が法律を武器に事件を解決していく姿を見て,私もこんな風に働けたらいいなと思った事が一番のきっかけでした。検察庁で働きたいという目標に向けて勉強をしていく中で,様々な困難がありましたが,希望を叶えることができてとても嬉しく思います。
 実際に入庁してみて思うのは,上司の方に恵まれているということです。右も左も分からなかった私ですが,今こうして無事に業務をこなすことが出来ているのは,上司の方々が丁寧に指導して下さっているからだと思います。検察庁では入庁して1ヶ月後に初等科研修と呼ばれる研修が行われているのですが,今年は広島県にて中国・四国地方の検察庁合同で研修がありました。法律を学びながら他県の同期とも親交を深めることができ,研修が終了した現在でも連絡を取ったりドライブに行ったりする仲です。
 検察事務官として働き始めて半年と少し,まだまだ未熟な私ですが,様々な部門の業務を経験し,少しでも早く立派な事務官になることが目標です。そのために向上心を維持しながら日々頑張っていきたいと思います。

(検察事務官)

ページトップへ

                    

「すいません,満員なので・・・」とは言えません 令和元年10月

 私は,昭和60年に検察庁に事務官として採用され,平成13年に副検事に任官して現在に至っており,現在,検察庁勤務35年目となります。
 検察官の仕事は大まかに言えば,事件の捜査を行ってどのような処分をするかを決め,裁判所に公判を求めたら,公判に立ち会って公判を進めるというものになります。
 事件を起こして警察に逮捕された被疑者は,48時間以内に釈放されるか,身柄を拘束したまま検察庁に事件送致されるかになります。
 釈放された場合は,後日書類が送致されます。
 逮捕された状態で,検察庁に身柄とともに事件送致されると,検察官が逮捕によって被疑者の身柄拘束ができるのは24時間になります。
 その24時間のうちに捜査を遂げて,被疑者の処分を決めるのはなかなか時間が足らなくて難しいです。
 そのため逮捕に引き続いて勾留という身柄拘束を続けるための手続きがあります。
 勾留については,最初10日間,さらに必要があれば最長でもう10日間まで延長されることがあります。
 勾留するかどうかは裁判官が決めますし,何日延長するかも裁判官が決めます。
(これらの手続きは,刑事訴訟法という法律に決められてます。)
 こうして,勾留という形で被疑者の身柄の拘束を続けるようになった事件は,基本的には勾留期間中,つまり10日間,もしくは延長となった場合は最長20日間で捜査を遂げて,処分を決しなければなりません(特別な事情がある場合は,処分を決めずに釈放して,捜査を続けることもありますが)。
 物騒な話ですが,事件がたくさん発生して,勾留となる事件が増えると,検察官一人が担当する勾留された被疑者の数も増えて行きます。
 飲食店などでは,お客さんがいっぱい来てくれて,満員となって席がふさがったら,「満席なので,これ以上は入れませんので。」とか「予約でいっぱいなので,また来てくださいね。」などと言って,お客さんを断ることができますが,検察庁は,「満員だから・・・」と言って事件を拒むことはできません。
 このため,勾留となった事件が多数となってくると,時間的制約が厳しくなり忙しくなります。
 勾留期間の10日または最長20日の間に事件を処理するために,色々工夫をして予定を立てて,被疑者はもちろんのこと,必要に応じて被害者や目撃者のなどの取調べも行ったり,警察の人に協力してもらって裏付け捜査をしてもらうなどし,事件の処分を決めて行きます。
 警察の人には,色々な補充捜査をしてもらっており,警察と検察とが協力し合って,事件の処理を行っています。
 こうやって説明すると,検察庁の仕事って,予定も立てにくくて大変だなと思われる方もいらっしゃるかと思います。
 たしかに大変な面もある仕事ですが,その中でうまく事件処理が出来たり,被害者の気持ちに配慮した処分が出来たりすると,やりがいを感じることができます。
 また,被疑者や被告人が反省して,立ち直ることを考えて実行してくれるようになったりすると,嬉しさを覚えることもあります。
 このように検察の仕事は大変な面もあるけど魅力ある仕事です。

(検察官)

ページトップへ

高松地検に入庁して 令和元年9月

 検察庁で採用をいただいてからはや5か月が過ぎ,少しずつここでの仕事にも慣れてきたと感じています。この随筆を書くにあたって拝読した,これまで掲載された記事のような格好いい検察事務官としての経歴や知識,おもしろエピソードやほっこりする話などはあいにくまだ持ち合わせていません。ですので,採用されてからの私のてんやわんやな日々を少し綴りたいと思います。
 1年前を思い起こしてみると,国家一般職の採用試験を受験したのもまだ少し蒸し暑さの残るこの季節でした。思えば,検察庁で働くことが決まってから,自分の周囲の環境は大きく変化した気がします。正直,徳島県出身の私が見知らぬ土地で生まれて初めての一人暮らしを,しかも新社会人になると同時にスタートさせることになるとは夢にも思っていませんでした。
 でも,1番想像できなかったのは検察事務官として仕事をする自分の姿です。最初は検察庁が何をしているところなのかもほとんど知らずに,なんだか格好いいなあというぼんやりした憧れの気持ちだけを抱いて志望しました。それが今では会計課の用度係として職務に励む日々です。
 私が配属された会計課は,給与の支給や旅費手続き等の業務を行う主計係,庁舎や公務員宿舎の整備を行う国有財産係,庁舎の維持管理や物品の管理を行う用度係に分かれています。検察庁という特殊な業務から少し離れたこの部署でも,最初は初めて聞く言葉に戸惑うばかりでした。「事務官と言うからには事務仕事をするんだろう」などというざっくりとした知識しか持っていなかった私は,経験がものを言うここでの仕事に慣れることからのスタートでした。自分の不甲斐なさに落ち込んだり,初めて触れる法律の勉強に頭を悩ませたりしたこともありました。しかし,上司や周囲の方々が,聞けば丁寧に教えてくれて積極的に声をかけて支えてくれる環境であったからこそ,少しずつ自分のペースでへこたれずに頑張れた気がしています。
 最初は頼れる人がいないことへの寂しさと,分からないことだらけの生活に不安を感じていましたが,今は高松地検に採用されて様々な巡り合わせの中でたくさんの人と出会えたおかげで,元気に過ごせています。まだまだ分からないことだらけで少しずつしか前進できませんが,それでも着実に一歩一歩成長していけるようこれからも頑張ろうと思います。

(検察事務官)

ページトップへ

「人」から話を聞くこと 令和元年8月

 私は,現在,高松地方検察庁で検察官として勤務しています。
 今回,私が,検察官の「捜査」に従事する中で自分なりに感じていることをお話ししようと思います。
 昨今は,「捜査」の中で,事件に関する様々なデータや証拠物の収集・解析が重視されるようになってはいますが,やはり,「人」から話を聞くということ(取調べ・事情聴取などと呼ばれる。)が真相を明らかにするためにはとても重要だと感じています。
 「人」というのは,犯人や被害者だけではありません。
 事件の内容にもよりますが,事件を目撃した人,犯人や被害者の家族,友人,上司や同僚,被害者を診察した医師,科学者や精神科医,解剖医といった専門家などなど多岐にわたります。
 このような人々から話を地道に聞いていくことで,事件の内容を徐々に明らかにすることができるのです。
 私は,「人」からは話を聞くことは,事件の内容を明らかにするだけでなく,警察官や検察官が様々なことに気付いたり学びを得る機会になると感じています。
 例えば,私は,以前,殺人事件の犯人の取調べを担当したことがありました。
 その事件は,父親が若い子供を殺害してしまうという非常に痛ましい事件でした。
 犯人である父親は,逮捕直後は,自分がしてしまったことの大きさのせいか混乱しているようで,事件を起こした動機や経緯について上手く説明することができませんでした。
 私は,逮捕直後から最終的に処分をするまでの間,その犯人と何度も会い,事件が起こるまでの出来事や犯人の子供に対する愛情,妻に対する思い,犯人が当時おかれていた状況,犯人なりの人生観など様々な話を聞きました。
 その中で,犯人は,徐々にではありましたが,自分なりに,なぜ自分が事件を起こしたのかを話し始めました。
 私は,この事件を通じて,ある「人」が持つ思いや考え方は本当に様々であることを知りました。
 殺人事件を起こした凶悪な犯罪者であっても,その「人」のその「人」なりの考えやストーリーがあり,検察官として,それに真摯に耳を傾け,その思いや考え方を理解しようと努めていくことの大切さを感じた事件でもありました。
 私は,今後も検察官として,多くの「人」の話を聞いていきたいと考えています。
 皆さんが,仮に検察庁から話を聞くために呼び出しを受けた時,この文を読んだことを思い出し,検察官が皆さんの思いを理解しようと努めているのだと分かって貰えればこれ以上幸いなことはありません。

(検察官)

ページトップへ

時代とともに 令和元年7月

 新しい元号に変わり早2か月が過ぎ,「令和」という響きもすっかり耳に馴染んできました。
 私が検察事務官として検察庁に採用されたのは昭和59年,今年で勤続35年になりますが,その間,昭和から平成,平成から令和と二度の改元を経験してきました。
 私が入庁した頃は,検察庁というところがいったい何をするところなのか,世間ではあまり知られていなかったように思いますが,最近は,ドラマなどで検事や弁護士が取り上げられることが多く,どちらにスポットを当てるかにより印象はかなり違いますが,以前よりも検察の仕事がどのようなものか認知されてきたのではないでしょうか。
 昭和,平成そして令和と時代の流れとともに,検察においても業務が多種多様化し,本年5月には平成21年に始まった「裁判員制度」が10年を経過し,また,6月には「録音録画の義務化」も本格的に開始されるなど,私が入庁した頃には考えられないほどの変化がありましたが,今後も,検察の業務を適正に実践していくためには,過去の手法にとらわれず,時代や社会の変化に合わせて柔軟に対応していくことが重要になってくると思います。
 私は,現在,捜査公判部門の仕事をしていますが,その内容は,刑事事件の捜査・公判に関すること,被害者支援に関すること,そして,他機関と連携して取り組んでいる再犯防止・社会復帰支援・児童虐待防止等の刑事政策に関することなど多岐にわたっています。
 その中で,私が関わっている「再犯防止・社会復帰支援」は,新しい取組の一つで,犯罪を行った人で,再び犯罪に及ぶおそれが高く,また,経済的困窮,障害や高齢などの理由により独力で社会復帰が困難な人について,保護観察所や県市町の福祉関係機関と連絡・調整を行い,住居や仕事の確保,各種福祉サービスの利用につなげるなどして,その人の円滑な社会復帰を支援し,その再犯を防止するための取組です。
 このように,検察の業務も時代とともに変化していますが,これからも,時代や社会の変化に柔軟に対応しながら職務に取り組んでいきたいと思っています。

(検察事務官)

ページトップへ

裁判員裁判10年 令和元年6月

 裁判員制度が始まって10年が経過しました。検察官の立場から見たこの10年間の刑事司法の変化について述べます。
 裁判員裁判導入前の刑事裁判はよく「精密司法」と呼ばれていました。多数の証拠に基づき時間をかけて細かく事実認定していくことをこのように言っていたのです。しかし,裁判員裁判では審理に無制限に時間を費やすことはできません。そのため,裁判に先だって「公判前整理手続」を行い,争点と証拠を確定し,あらかじめ審理日程も決めておきます。この争点と証拠の確定が結構大変です。裁判員裁判導入前は何を証拠として取り調べるかについて割とゆるやかに判断されており,幅広に証拠調べが行われていたのですが,裁判員裁判は審理時間の制約があるため無駄は一切省かれており,「何となく関係ありそう」という程度の証拠が取り調べられることはありません。そういう意味ではむしろ裁判員裁判の方が「精密」といえます。
 また,「故意」「責任能力」「正当防衛」といった専門用語を一般の方にも理解できるように説明する必要が生じました。法律家同士では何となく分かったつもりでこれらの用語を使っていましたが,一般の方にも理解できるように説明する過程でむしろそれらの概念について本質に遡った理解が深まりました。特に「責任能力」についての考え方はこの10年間で相当深まりました。
 有罪無罪を決するに当たっての考え方も新たに示されました。裁判員裁判が施行されて約1年後の平成22年4月27日,最高裁は,直接証拠(被告人の自白や監視カメラに写った犯行の映像といった犯行を直接証明する証拠)がなく間接証拠(被告人に犯行動機があった,アリバイがない,犯行の前後で被告人が犯行現場近くにいたなど,それのみで直ちに被告人が犯人であることを証明するには至らない証拠)で被告人が犯人であることを立証する場合は,「被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない(あるいは少なくとも説明が困難である)事実関係が含まれていることを要するというべきである」と指摘しました。これは被告人が犯人かどうかの判断が難しい事件の際に裁判員を迷わせないようにするため判断基準を明確にしたものと思われます。
 捜査段階で作成された被告人や参考人の供述調書が裁判でそのまま証拠として取り調べられることも少なくなり,その代わり,法廷で直接事件関係者から話を聞くことが多くなりました。その結果,検察官と弁護士の尋問技術はかなり磨かれましたし,法廷でのやりとりを見聞きするだけで裁判員や傍聴人にも事件の内容が把握しやすくなりました。正に「見て聞いて分かる裁判」が実現されたわけです。
このように裁判員裁判が実施されたこの10年間で刑事司法には顕著な進化がもたらされました。
 他方,この10年で失われたものもあります。それは「リアルさ」です。刑事裁判とは何かと問われれば,判断者に事件を正しく追体験してもらった上で罪名と量刑を決めてもらう手続だ,と答えることになると思います。裁判員裁判導入前の裁判はこの追体験がリアルでした。殺人事件だと,ご遺体や現場の写真が何の加工もされずそのまま証拠として採用されていました。しかし,裁判員裁判ではこれら刺激の強い証拠は裁判員に過度なストレスを与えてしまうという理由でほとんど証拠採用されなくなりました。現在はよほどのことがない限り裁判でご遺体の写真を見ることはありませんし,現場の写真もマスキングしたり色調を変えるなどしているので凄惨さを感じることはほぼありません。この点には賛否両論あります。裁判員経験者の多くがこのような配慮がありがたかったという感想を述べられますが,他方でリアルな証拠がなかったので事件を現実のものとしてとらえにくかったという感想を述べられる方も一定数おられます。また,ご遺族はリアルな被害状況を見ており,それを前提として被害感情を法廷で述べられるわけですが,リアルな証拠を見ていない裁判員・裁判官が被害感情をきちんと共有できるのか不安に思うことがあります。どうしてもこれを見ないと事件の重さや真相が正しく理解できないという場合にはリアルな証拠を見てもらう必要があるのではないかと思います。
 また,限られた時間の中で,厳選された証拠と事件関係者から法廷で直接聞いた話のみで事実認定と量刑判断を行うというのは,例えて言えばハンドルの「遊び」のないレーシングカーを走らせるような高いスキルを求められる作業であり(冒頭で述べた「裁判員裁判の方が『精密』である。」というのにもつながります。),少しのミスでコースアウト,つまり,事実認定や量刑判断が極端に流れかねないということでもあります。現状の裁判員裁判にはそのような危うさもあるということを法曹三者はよく理解しておくべきだと思います。

(高松地方検察庁次席検事)

ページトップへ

昭和,平成そして令和へ 令和元年5月

 私は,昭和62年4月,東京地検に検察事務官として採用され,平成の30年間の時を経て,今年の4月に高松地検へ異動してきました。定年まで残り年数を数える年齢となりましたが,令和元年最初の「職員からの一言」を担当させていただく機会を与えられたことを大変光栄に思っています。そこで,この場をお借りして,平成の30年間を振り返ってみたいと思います。
 昭和が終わりを告げた時,その頃は,まだ,土曜日に仕事をしていたので勤務終了後に先輩方と一緒に皇居に赴き御記帳させていただきました。そして,元号が昭和から平成となり,世の中は,まさにバブル景気に突入していきます。民間給与の上昇に併せて公務員給与も上昇し,皆が浮かれていました。しかし,そのような時代は長続きせず,バブルの崩壊とともに露と消えてしまいます。その頃,検察庁では,リクルート事件,ゼネコン汚職事件など,政財官界を巻き込んだ大型贈収賄事件を次々と手がけて行くようになります。捜索差押に向かう検察事務官の姿がテレビ画面を賑わす機会も多くなり,私自身もがむしゃらに働き心身共に疲弊しつつも検察事務官としてのやりがいを大いに感じた時代でもありました。
 ところが,平成6年4月に法務本省への異動を言い渡されます。今,振り返るとこれが人生の分岐点だったのかもしれません。その後,23年間を法務本省で勤務することになろうとは全く思ってもいませんでした。検察事務官として,やっと仕事ができるようになってきた頃だったので,検察庁を離れるのは本当につらかったのですが,法務本省は本省で行ってみるといろいろな仕事があって,さまざまな経験を積むことができました。特に,他の組織の人たちと知り合う機会を得たことは貴重な財産となっています。また,本省生活の中でも司法制度改革に関わることができたことは,こうして検察庁に戻ってみると,立法に関わった法案が実務で活用されていることに感慨深いものがあります。
 そして,平成29年4月に本省生活にピリオドを打って,長崎地検に異動しました。まさに浦島太郎の状態で検察庁の仕事に戻った訳ですが,検察官,検察事務官の区別無く検察庁職員の皆さんに暖かく迎え入れていただき,検察庁は何と懐が深く調和のとれた組織なんだと感動を覚えました。平成最後の4月から高松地検の一員となりましたが,これは,令和最初の職員ということでもあります。令和という時代がどのような時代になっていくのか見当もつきませんが,令和の英訳がBeautiful Harmonyということですので,是非,世の中も,そして,検察庁もBeautiful Harmonyを奏でてほしいと願っています。

(検察事務官)

ページトップへ

「転勤するということ」 平成31年4月

 これまでの「ひとこと」の中でも,検察官には転勤はつきものだとの話がたくさん語られてきました。今回は,私が,検察官として各地を転勤しながら仕事をしてきて思うことを述べさせていただきたいと思います。これは検察官に限らず,どんな仕事にも当てはまる話だと思います。
 昨今,働き方改革が叫ばれ,勤務時間や働き方そのものについて,いろいろな変革が行われています。検察庁でも,例えば1日単位で勤務時間を30分早めたり,逆に遅めたりできる制度が導入されるなど,様々な制度ができ,とても働きやすくなったと感じます。
 そして,世間ではこうした働き方改革のひとつとして,転勤をなくしたり,希望者以外は転勤をさせないという企業も現れています。就職を決める際にも,転勤の有無等が就職を決める際の重要なポイントとなっているようです。
 私は,これまで各地を転勤しながら働いてきて,転勤で得られたものもたくさんあったと思っています。私は,主に首都圏で育ちましたので,地方勤務を体験して初めて,自分が常識と思っていたことが常識ではなかったことを知り,目からうろこが落ちる思いでした。例えば,地方都市では電車よりも自動車の方が断然移動しやすく,自動車がとても重要な交通手段であることを実感しました。また,地方都市は,自然にアクセスしやすく,大きな公園が点在するなど,子育て環境が良かったり,生活しやすいと感じました。そして,一部の地域の常識だけで考えていてはわからないことがたくさんあると知りました。
 このようなことは,色々な土地に住んでみなければ実感できなかったことだと思います。自分の常識を疑うということはなかなか難しいことです。でも,生活の中で感じたことであればそれは自分の実感として得ることができます。
 そして何よりも,色々な土地に住むということはその土地ごとの美味しい物や歴史や気候を体感し,日本を知ることでもあります。
 確かに,転勤には慣れ親しんだ知人友人,生活環境と離れてしまうなど寂しいこともあります。でも,視野を広げ,人生をより豊かにする経験になり得るものではないでしょうか。もし,今,転勤に対してマイナスの感情や不安を持っている方がいらっしゃれば,これを読んで,転勤を少しでも前向きにとらえていただく一助になれば嬉しく思います。

(検察官)

ページトップへ

前年度分以前の記事

平成27年度分の記事は,「職員からの一言(平成27年度分)」をご覧ください。

平成28年度分の記事は,「職員からの一言(平成28年度分)」をご覧ください。

平成29年度分の記事は,「職員からの一言(平成29年度分)」をご覧ください。

平成30年度分の記事は,「職員からの一言(平成30年度分)」をご覧ください。

高松地方検察庁 管内検察庁の所在地・交通アクセス
〒760-0033 高松市丸の内1-1 高松法務合同庁舎
電話:087-822-5155(代表)