那覇地方検察庁沿革史
琉球から沖縄へ
- 1876(明治9)
琉球藩の裁判権の停止(5月)
琉球藩の裁判事務が内務省沖縄出張所において開始(8月)
- 1891(明治24)
長崎控訴院管内として「那覇地方裁判所・検事局」,「同区裁判所・検事局]設置
- 1896(明治29)
那覇市松山町に那覇地方裁判所・検事局庁舎新営(工事費 71,623円)

【 那覇地方・区裁判所 】

【 那覇地方裁判所庁舎前での記念写真 】(昭和10年代)
- 1944(昭和19)
空襲(10.10空襲)のため那覇地方裁判所・検事局は被爆・損壊し,首里市安国寺の仮庁舎に移転
- 1945(昭和20)
米軍,沖縄本島に上陸,首里市安国寺の那覇地方裁判所・検事局仮庁舎も被爆し全焼,裁判原本や保管記録等も焼失(4月)
沖縄戦終結(6月)
- 1946(昭和21)
GHQ(連合国軍総司令部)覚書により,北緯30度以南の南西諸島と日本政府との行政を分離(1月)
米国海軍軍政府特別布告により,7地区に琉球住民によって運営される「簡易裁判所(刑事裁判所)」設置,各裁判所に検事局付置(2月)
簡易裁判所及び検事局が戦後初めて開庁(4月)
沖縄本島に「中央区裁判所」,「沖縄地方裁判所」,「沖縄終審裁判所」設置,各裁判所に検事局付置(9月)
- 1947(昭和22)
沖縄本島11地区に「治安裁判所」設置(7月)
「区裁判所・検事局」は「巡回裁判所検事局」,「沖縄地方裁判所・検事局」は「沖縄上級裁判所検事局」,「沖縄終審裁判所・検事局」は「沖縄控訴裁判所検事局」とそれぞれ改称(10月)
- 1949(昭和24)
「中央巡回裁判所検事局」「沖縄上級裁判所検事局」「沖縄控訴裁判所検事局」は,首里真和志から那覇市天妃国民学校跡に移転
日本政府,日本本土から沖縄への旅券発給開始(3月)
沖縄から日本本土への渡航許可開始(5月)
- 1952(昭和27)
琉球民裁判所制度確立(治安裁判所,巡回裁判所,琉球上訴裁判所で構成)(1月)
検事局組織規則制定,「琉球検事局」(本庁)を那覇市に,各支部を奄美(鹿児島県名瀬市),宮古(宮古島市),八重山(石垣市)に設置(3月)
琉球政府の発足,「琉球検事局」(本庁),那覇市天妃国民学校跡から那覇市大典寺跡に移転(4月)

【 旧庁舎(いわゆる大典寺時代) 】(昭和28年ころ〜昭和31年2月)
- 1953(昭和28)
検察庁法制定により,「検事局」廃止,各裁判所に対応する検察庁が設置され,「琉球検察庁」と改称(4月)
奄美大島の本土復帰,琉球検察庁奄美支部は廃止(12月)

【琉球検察時代の記章】(検察官は金色/検察事務官は銀色)
- 1956(昭和31)
琉球検察庁(本庁)那覇市美栄橋の裁判所庁舎ロビーに移転(2月)
那覇市上泉町に新庁舎落成(9月)
検察庁法の改廃により,「琉球上訴検察庁」,「琉球巡回検察庁」,「那覇治安検察庁」と改称(10月)

【旧庁舎(那覇市の琉球政府〈復帰後は沖縄県庁〉の構内)】
(昭和31年9月〜昭和61年5月)
- 1961(昭和36年)
検察庁法の一部改正により,「琉球巡回検察庁」を「中央巡回検察庁」と改称

【当時の官用車フォード】(昭和30年ころ〜昭和38年ころ)
- 1963(昭和38)
米統治下の米民政府裁判所において陪審制度施行(日本復帰の昭和47年5月まで継続)
- 1968(昭和43)
新検察庁法の施行により「琉球上訴検察庁」を「琉球高等検察庁」,「中央巡回検察庁」を「那覇地方検察庁」,「那覇治安検察庁」を「那覇区検察庁」と改称
- 1972(昭和47)
沖縄返還協定(琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定)発効(5.15)
沖縄の日本復帰により琉球政府は解消,新生「那覇地方検察庁・那覇区検察庁」,「福岡高等検察庁那覇支部」誕生
徴収金(罰金等)は,すべてドルから日本円に換算
通貨交換レートは,1ドル305円
- 1986(昭和61)
那覇第一地方合同庁舎(那覇市樋川1丁目15番地15号 旧沖縄刑務所跡地)新築・移転,現在に至る

【 合同庁舎全景 】





