くしろよろしく

最終更新日:2015年12月28日

元釧路地方検察庁検事正 山 下 輝 年  

路空港の到着客が向かう階段,タイトルの回文が目に入る。「歓迎」「ようこそ」とは違う洒落た出迎えである。笑みを浮かべて市内に向かうと,ふと信号機に気付く。 雪国の信号機は積雪回避のため“縦”が普通なのに,“横型”信号機なのである(一部は縦型)。ということは,北国でありながら雪が少ないと察しがつく。 案の定,地元の人は「雪は少ない」と口々に言い,「そんなに寒くない」という意外な返事。理由は零下20℃を下回らないからという。どうやら基準が大きく違う。

(みち)を歩くと,啄木ロードなる一帯には,彼が詠んだ歌の石碑や,タイル様の図柄が埋め込まれた歩道がある。水道マンホールには何と“タンチョウ”(鶴)の図柄が彫ってある。歩道には“鮭”の銀色彫刻も至る所に埋め込まれ,幣舞橋には,美川憲一の「釧路の夜」が流れ,小説「挽歌」で有名な原田康子ギャラリーもある。 此処の夕日は「世界三大夕日」が謳い文句。しかし観光客は雄大な自然を求めて内陸や知床になびくし,釧路管内の中心は,かつての根室から釧路へ,今や帯広へと西に向かう。 釧路市街地も知恵を絞らねばならないのだ。

元釧路を克明に調査したのは佐賀藩(肥前)で,軍事面で薩長に後れを取ったのを北海道開拓で挽回を狙ったらしい。 佐賀藩は主要官庁を薩長土に握られ,初代司法卿江藤新平や有為の人材を司法省に送り,廉潔な司法を確立した光景と奇妙に重なる。 また大津事件の津田三蔵は,判決後釧路集治監に移され,3か月後に急性肺炎で命を落とした。近代司法との縁があるのは,法律家としては感慨深い。 そして釧路市役所には,日本国憲法前文が書かれた大きなボードがある。リンカーン記念堂で演説を孫に読ませる老紳士(映画「スミス都へ行く」)のような人が現れないかと期待したくなる。

察のみならず,どの分野も科学技術の発達で新たな発想と工夫が求められている。実は,釧路名物の霧笛もGPSの発達で2010年3月19日に消え失せた。 日本で唯一存在する石炭採掘事業も,アジア諸国への技術協力研修を取り込んで事業を続けている。中国系の人々の北海道人気は,映画「非誠勿擾」(フエイチエンウーラオ:冷やかしお断り)で釧路管内・道東の自然と人情が印象に残ったからこそ。 映画「僕等がいた」に市内風景が満載。釧路は今「涼しい夏」「花粉ゼロ」「長期滞在型観光」など工夫を凝らして何とか盛り上げたいのだ。 持てる本来の姿を活かしつつ時代に対応する知恵と姿勢が此処にある。
 

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