「人」になりし「者」

最終更新日:2015年12月28日

 これは2009年当時,被害者参加制度が始まった頃にある雑誌に寄せた一文の抜粋です(加筆訂正あり)。当時の感覚を記憶に留めるために,ここに掲載いたします。
 

元釧路地方検察庁検事正 山 下 輝 年 

訴訟法では「人」が原則
 マスメディアは刑事事件でも「被告」という用語を使いますが,法律上,それは民事訴訟法での用語です。刑事訴訟法では「被告人」と呼ばれます。時代を遡れば,民事訴訟法ができる前の治罪法や旧々刑事訴訟法では私訴が可能でした。その呼び名は「民事原告人」。 現代の法律家の記憶からは殆ど消え失せた呼称ですが,同じく「人」が付いています。参考までに,その他の訴訟関係者の呼称を現行訴訟法で見てみましょう。
 まず馴染みのあるのは「証人」。当然「人」が付いています。鑑定人もそうです。通訳人もそうであり,通訳でも通訳者という用語ではありません。更に見ていくと,弁護士も古くは代言人で,現在は刑事では弁護人(少年審判では付添人),民事では訴訟代理人です。民事訴訟で登場する用語は,他には補助参加人,権利承継人,義務承継人,控訴人,被控訴人,上告人,申立人,訴訟関係人などなど。刑事訴訟法では,翻訳人も登場するし,告訴人とか告発人もある。皆ことごとく「人」が付きます。こうしてみると,民事訴訟の原告・被告だけが例外と言えるでしょう。

 一方,刑事訴訟法で長らく「人」になれなかった「者」がいます。それは「被害者」です。被害者学という立場からよく言われることですが,被害者の歴史には黄金期と呼ばれる時期があった。それは復讐や応報として仇討ちが認められていた時代を指します。そして近代刑事司法制度の確立とともに一気に衰退期に入ったと言われます。確かに刑事訴訟法を学ぶと,被害者は「訴訟の当事者ではない」ということになっています。実際,ここ十数年の被害者保護関連の法改正前までの刑事訴訟法の規定は僅かでした。例えば,除斥・忌避事由,権利保釈の例外規定,還付規定,告訴の規定など。単なる日本語の問題とはいえ,被害者と呼ばれても「人」が付いていないというのは,ある意味で衰退期を象徴しているとも言えます。
 そして現在,被害者は復活期を迎えつつあると言われます。「訴訟の当事者」でなくても「事件の当事者」であることには疑いない。刑事訴訟法でも被害者保護関連規定が増え,ついに限定的とはいえ「人」が付いた。それが被害者参加人です。
 
 
法廷の被害者参加人
 被害者参加人が検察官席の横に座っている法廷を何件か傍聴しました。どれも交通事故で大黒柱を失った奥さんです。小さな子供を抱えて生活していかなければなりません。傍聴席から見ていると,「参加人は辛いだろうなあ」と感じます。それは見るからに緊張していたからです。喉仏が上下するのが見える。頻りに舌で唇を舐めているのが分かります。視線をどこにやっていいのか分からないような様子も感じられます。検察官ですら法廷は慣れないと緊張しますから,その緊張の度合いは並大抵ではないでしょう。
 そして,すぐ横で検察官が起訴状を読み上げる。冒頭陳述を口頭で行う。配慮のため冒頭陳述のメモが渡されている。否が応でも事故当時の様子,そして事故後に一変した生活が脳裏を駆け巡ることでしょう。そういう光景に接し,参加人の心情を思いやるだけで,傍聴席の私は目が潤み,時に涙がこぼれ落ちます。涙もろくなっては検察官失格でしょうか。いや傍聴席に座っているから涙が出るのであって,検察官席に座ると職業柄そうはならないかもしれません。
 その法廷では,参加人は情状証人や被告人には質問はしなかった。用意してきた意見陳述を読み上げるのが精一杯の様子であった。その時の意見陳述は,被害者参加制度が認められる前から存在したものです。そういう意味では,検察官の横に座ったことがこれまでと違う。しかし,結局質問しなかったとはいえ,検察官が質問を終えると,参加人とボソボソと話をする。自ら質問したいことがあるか,検察官に追加で聞いて欲しいことがあるかを確認していたのでしょう。そこに如何とも表現し難い静寂と緊張が法廷に漂う。
 これまでの訴訟手続に慣れ切っていると,人によっては,その僅かな打合せの時間すらスムーズな進行が止まったように感じられ苛立ちを感じるかもしれない。しかし,自ら質問しないにしても,参加人に対する配慮があったということは間違いなく伝わりました。

 
「人」で実感
 そればかりではありません。被告人の最終意見陳述で,これまでは見られなかった光景がありました。被告人が参加人のほうを向いて頭を下げて謝罪したのです。そして終始,体をやや半身に参加人のほうに向けて最終陳述をしていました。これまでなら,被告人は裁判官のほうを向いて陳述し,謝罪の言葉を発すると,時に裁判官は「それは私に言うのではなく被害者に言わなくてはいけないですね」と諭すこともあった。裁判官としても,自分のほうを向いて陳述しなかったとしても不満はないでしょう。また,裁判官が諭さなくても被告人自ら謝罪したのですから,その効果は大きいものがあります。
          「裁判手続に血が通った!」
血の復讐ならぬ血の復活。これが法廷の手続全体を傍聴し終えた私の感想です。こう言うと, それまでの裁判手続は血が通っていなかったのかと反論されるかも知れません。これまでも血は通わせていたでしょうが,法廷の当事者席に被害者参加人がいる,その存在がもたらす意味は大きいと言いたいのです。法廷が終わり傍聴席から眺めていると,参加人は,おそらく小さな遺影かお守りを身に着けていたのでしょうが,そこに手を当てており,達成感に包まれているように感じました。

 もちろん,自白事件だから問題がなかったわけで,この制度に対しては,犯人性を争っている完全否認事件では疑問があるというのも一理あるでしょう。しかし,「人」が皆,それぞれの立場で配慮して権利を行使すれば,そう大きな問題は生じないと思うのですが,皆さんのお考えはいかがでしょうか。

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