「憲法に込められた想い」

最終更新日:2015年12月28日

憲法週間に寄せて(2013年5月3日付け釧路新聞掲載)
 

元釧路地方検察庁検事正 山 下 輝 年 

釧路市役所の憲法前文で考える
 
釧路市役所玄関に日本国憲法前文のボードが置かれている。昔からあるようだが、「当然」が続くと、その有り難みが薄れるのが人の常。そんなことでは市役所もボードも憲法自体も切ないと思い、以下に気づきのために記しておきたい。
 まずは憲法制定時に議会自ら、2箇条を実質的に追加した事実である。それは憲法第17条(国及び公共団体の賠償責任)と、第40条(刑事補償)。国会図書館HP画像で、当初改正案と修正を見比べれば分かる。実は戦前は国家無答責という考えがあり、民法の不法行為規定を使って工夫したが限界があった。この2箇条を挿入したのは、国民に塗炭の苦しみを与えた反省と無縁ではなかろう。そして、憲法に書かねば変化なしと考えたからだろう。国が過てばせめて国民に償う形で謝れ、という発想と理解できる。GHQも考えぬ規定ができた背景を思い起こす必要があろう。

 
欠かせぬ不断の努力
 次は、ベアテ・シロタ・ゴードン女史による男女平等規定である。社会実態の反映が法であるが、全てがそうとは限らない。法は当為(こう在るべき)を定めるが、条文ができても現実は直ちに変わらない。戦前は契約上、妻は夫や戸主の承諾が必要であり、結婚も親が決めていたも同然。そこへ憲法24条が「婚姻は両性の合意のみで成立する」と高らかに謳い上げた。当時小学生の御婦人が言う。「先生が『これから自由に結婚できるぞ。凄いことなんだ』と興奮して言ったが、ふ~ん、と思った程度」と。両性の合意のみで結婚できることを誰もが当然視し始めたのは、30年経た頃か。親の反対を押し切っても社会で批難されなくなった。これこそ憲法が定着した状態である。
 また女性が国立大学に入学できるのも、現憲法のお陰である。戦前の女性は帝国大学に入れなかった。今や結婚と教育の分野では男女平等が達成された。制定当時の社会実態と乖離があっても、理念が正しければ、法が高らかに宣言することで人々の意識が変わり、社会が変わるのだ。この二分野以外ではどうか66年を経た今も「男女共同参画を」と叫ばれる状態であり、不断の努力が必要なのである(憲法第12条)。

 最後は、故三ヶ月章法学博士の20年前の国会答弁(当時法務大臣)に見る憲法観である。博士は学徒出陣を経験し、友人が特攻隊に臨む姿を目の当たりにする。憲法学者作間忠雄氏の言葉を引用しつつ答弁した。戦争観は色々あるが、敗戦濃厚な時期の彼らの想いは「自分は死ぬが、生き残った人は協力して今までと違う日本を造って欲しい。おれの分も頼む」というものであって、残った者はそれを託されたのだ。彼らは戦争の手先ではなく、「日本国憲法」に化身して、平和日本の礎となった(以上要旨)。そして博士は「国際社会において、名誉ある地位を占めたい」を体現すべく、法学と国際協力に尽力した。
 かつてマッカーサーは日本民主主義を12歳に喩えたが66年経った今、我々は何歳と公言できるか、「前文」を前に考えるのもよい。
 

(注) 戦前の旧制高校に女性は入れず,帝国大学(東京・京都)には,旧制高校卒に優先権が与えられ,女性は事実上入学できなかったが,他の帝国大学には女性が若干名いた

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