HOME

広島城跡法務総合庁舎地点の発掘調査

現在,広島地方法務合同庁舎の建て替えに向けて,新庁舎建設予定地(現庁舎の前庭部分)において,広島市文化財団による遺跡発掘調査が行われています。
この建設予定地付近は,その昔,広島城内の一画だったこともあって,貴重な埋蔵文化財の発見が期待されています。

~本文は広島市文化財団の解説によるものです。~

今回発掘調査を行う場所は,史跡公園となっている広島城跡から東へ200m前後離れたところですが,江戸時代には広島城内の一画でした。現在では周囲にあった堀が埋められてしまっているなど,往時の面影はありません。

これが現在のお堀ですが,内堀しかなく,周辺にはビルも建ち並んでいます。

広島城の中堀と「八丁堀」の名で知られる東側の外堀,そしてこれらをつなぐ北側の堀によって「コ」の字形に囲まれたこの一帯は,いつの頃からか「栗林(くりばやし) 」と呼ばれており,すぐ北側にあった城門は「栗林御門」と呼ばれていました。この場所は城内ということもあり,道路になっている箇所を除けば,毛利氏の安土・桃山時代,福島・浅野氏の江戸時代を通じて武家屋敷地であったようです。また,江戸時代中頃の寶永7年(1710)からは,大目付や奉行といった藩の重役が定期的に集まって協議を行う場としての御用屋敷が置かれました。

しかし,江戸時代の広島城下町を襲った最大の火災である"寶暦の大火"で,この御用屋敷は類焼してしまい,その後は武家屋敷地となっていました。ところで,興味深いのは"寶暦の大火"の前後で,この場所の地割りに変化が見られることです。つまり,大火の前は毛利時代以来,八丁堀沿いの通りと区画の広い武家屋敷地1軒分という組み合わせでしたが,大火の後ではその武家屋敷地の中に道路が作られ,残りの屋敷地の地割りが細かく仕切られています。
こうした地割りの変化が大火をきっかけに行われたものかどうかも,発掘によって明らかになるかも知れません。もちろん,八丁堀の石垣の一部が,今回の発掘で再び蘇ることも十分期待されます。

広島城の外堀と予想される部分を水色で塗ってみました。
広島の検察庁は,かつての広島城の敷地内に建っているのです!

それでは発掘調査の様子を紹介しましょう。
炎天下での発掘作業が連日行われています。
画像をクリックすると拡大表示されます。

(2005.6.17撮影)
(2005.7.19撮影)
(2005.7.20撮影)

広島高等検察庁のご紹介のトップに戻る
Copyright(C) Hiroshima High Public Prosecutors Office , All rights Reserved.